ワーホリ2回目の旅行。オーストラリアは広かった

eyecatch わたしのAustralia
エスペランスの真っ青な海

こんにちは、アラフィフ英語学習人の、むっちです。

オーストラリアでのワーキングホリデー生活。早いもので半年が過ぎていました。
アルバイト先の日本食レストランが、改装工事に入り、一旦閉店となりました。
1994年3月、南半球は秋を迎えていました。
そのまま、次のアルバイト先を探すことも考えましたが、旅行に出ることにしました。
今度は、前回よりも遠くまで行くことに決めました。

ワーホリ2回目の旅は、エスペランスから

オーストラリアは広い、デカい。

Perth(パース)からおよそ700㎞離れたところに、Esperance(エスペランス)はあります。
地図だと隣町っぽいけれど、結構な距離です。

パースから、長距離バスに乗り込み、ただひたすらにバスに揺られてグロッキーに。
乗客の中には、小さい子供連れの家族もいて、「子連れでこの旅は凄いな。」と思っていました。

案の定、その子が途中で何回もぐずっていたのを、今も覚えています。

しかし、他の大人の乗客も、疲れているのか何も反応せず。
誰も決して、キレたりしません。

エスペランス、 この地名は響きの雰囲気の通り、フランス由来です。
この地に訪れた、探検隊が乗っていた船の名前です。
後に、知り合ったシドニー在住の女性が、フランス語由来であることを教えてくれました。
「いかにも、フランスって響きだよね。」と教えてくれたのを覚えています。

牡蠣が採れるそうで、新聞にも「牡蠣ダイバー」さんが取材されて載っていました。
かなり儲かっていた模様。
牡蠣御殿の写真もあった記憶が。
日本では、あまさん ですけどね。
わたしが当時聞いた話です。
ここの海岸にたどり着いた船の底に、牡蠣がくっついていた。
それがこの地に繁殖し、一大産地になったらしいです。

このエスペランス、海が真っ青で、とても美しいかったです。
いわゆる南国の海のエメラルドグリーンも綺麗ですが、こちらは目の覚める様な青でした。

ここでも、前回の旅行の様に、自転車を借りて、走り回りました。
どこまで行っても、真っ青な海が目の前に広がって、それはそれは美しい光景でした。
道端の低木が、真っ黒に焦げていたのには、驚きました。
聞けば、余りにも気温が高く、乾燥しているので、木々が擦れあった時に発火するのだとか。
そして、炭の様になっているのです。
頻繁に、シドニー郊外の山火事がニュースになりますが、こんな理由があるのでしょう。

↑は、Blue Heven Beach(ブルーヘブンビーチ)での1枚。
いつも同じ格好ですが、旅先では早く乾く服しか着ていなかったので、ご容赦ください。

この海岸線の高台にも、豪邸が立ち並んでいました。
以前、スワン川クルーズについて書いた時に、スワン川がどう見えるかで、住宅のお値段が変わるお話に触れました。
やはり、ここも家から海がどう見えるかで、不動産価値が違うそうです。

この、エスペランスのバックパッカーズで、2人の日本人の女の子達と知り合いました。
一緒に海岸線をサイクリングしたり、海で泳いだり、情報交換をしたりと、楽しく過ごしました。

*バックパッカー(backpacker)とは、低予算で国外を個人旅行する旅行者のことです。
バックパック(大体が大きいリュック)を背負って移動するのでこの名がついたそうです。
バックパッカーズは、バックパッカー達が多く泊まる、安宿です。
大体は二段ベッドの6~8人部屋で、所によっては男女ごっちゃ混ぜにされました。

エスペランスは、湖の色が美しいピンク色に染まる、ピンク・レイクも有名です。
わたしが訪れた時は季節違いで、見ることは出来ませんでした。
オーストラリア政府観光局のサイトには、バッチリとピンク色の湖の紹介がされています。

 

エスペランスは、本当に美しい街でした。
頑張ってバスに揺られてきた甲斐がありました。
自転車で走る度に、シャッターポイントに出会うので、フィルム(当時はスマホは無い😢のだ)がいくらあっても足りませんでした。
一緒にサイクリングしたみんなで、「心のシャッターを押そう。」と話していました。
その為か、今でもしっかりと、心のアルバムにエスペランスの青は残っています。

次の日も、エスペランスを堪能しました。ラッキー・ベイではカンガルーにも会えました。

どこも、景色が素晴らしく、今まで頑張って生きて来て良かった~と思いました。
オーストラリアの大自然を満喫し始めの、まだまだ序章ですが。

捕鯨の街、アルバニーでの出会い

次に訪れたのは、エスペランスからパースに向けて、約500㎞の街、アルバニーです。
下の地図にはオールバニーとありますが、綴りは「Albany」です。

こじんまりとした街ですが、ロータリー、坂道、海、ここも絵になる街です。
この街は、古くは捕鯨が盛んだったところで、アルバニー・クジラ博物館があります。
ここで知り合った、日本人大学生の男性と見学しに行きました。

学芸員の女性の解説を聞きながら、中を進んで行きます。
その途中で、
「今現在、オーストラリアは捕鯨を止めています。しかし、この時代に日本はまだ、この捕鯨を続けているのです。」
なんて言い出すので、大学生と2人、物凄くバツが悪かったです。

スタートがこんな感じでしたが、思い出に残る、素晴らしい出会いもありました。
大学生と街を散策していた時に、1人の男性が声を掛けてきました。
軽く挨拶をして話をしているうちに、その男性のお宅に、お招きいただくことになりました。

閑静な住宅街にあるお宅にお邪魔すると、奥様がいらっしゃいました。
突然、日本人2人を連れて来られて、奥様は少し驚いた様子でした。

お茶を頂きながら、色々なお話をしました。
過去に何人かの日本人を、ホームステイで受け入れた経験がある、ご家族でした。
その日本人学生たちは、ほとんどが10代の女の子達だったそうです。

お土産に、その日本人学生達が持って来たであろう、重箱を見せて来て、
「これは、何に使うの?」とか聞いてこられました。

大学生の男性と説明しましたら、納得してくださいました。
梅干しをお土産にもらって、何も知らずに食べて、驚いた話も聞き、みんなで笑いました。

このご主人、自動車、バイクがお好きでした。どちらもホンダをお持ちでした。
ご自慢のバイクを、嬉しそうに見せてくださいました。
また、メルボルンのホンダの社員が、愛想が悪かったとか、他愛もない話で盛り上がりました。

その後、ドライブに連れて行ってもらい、郊外を見て回りました。
長い一本道の両脇には、広大な畑が広がっていました。
そこは、ジャガイモの畑でしたが、ジャガイモそのものを収穫する畑ではありません。
「種芋だけ」の為の畑でした。

この風景を見ながら、ご主人が言った言葉が、記憶に残っています。
「日本人は農家を尊敬しているか?農業は大切なんだ。農家は尊敬して、大切にしないと。」
オーストラリアは農業大国でもあります。
何故か分からないけれど、この時の風景とこのご主人の言葉は、わたしの記憶に残ることとなりました。
見ず知らずの日本人2人を、お宅に招いてくださって、ドライブまで連れて行ってくださるとは。
本当に、出会いに感謝です。

アルバニーは、他にも多くの観光スポットがありますが、季節や天候の関係で観る事が叶いませんでした。しかし、人との出会いは、それを全て超える事がある、と言う体験になりました。

この写真の船はレプリカですが、昔、これで入植者を連れて来たそうです。
遠く、イギリスからです。その距離を考えただけで、圧倒されます。

小さな街での小さな出会い

アルバニーを離れ、パースに向かう途中で、何か所かの小さな町を訪れました。
余りに小さい田舎町だと、銀行の支店もATMも無く、焦りました。
聞くと、スーパーのレジで出金してもらうのだとか。
地元のスーパーマーケットで、キャッシュカードをチェッカーに見せてレジから出金してもらいました。

手数料が高かった~。
オーストラリアは、当時(今現在が分からないのでこの表現)365日、24時間、手数料無しでATMから下ろせました。

半年このシステムで生活していると、久々の手数料にビビりました。

ある日のこと、バスから降りて、テクテク安宿まで歩いて行くと、ダルそうな管理人に、カギを渡されました。

宿泊先になる一軒家の中に入ると、3部屋と共同のキッチンがありました。

その日は、わたしと、ドイツ人・フランス人の男性が居ました。

本日はこの3人で泊まることになります。
こんなことが、旅行していると、度々あります。

まあ、何事もありませんでしたが、今、自分の娘達にこのスタイルの旅は勧められないなあ。

3人とも、幸い英語のレベルは似たり寄ったりで(多分)、楽しく健全に交流しました。
フランス人の男性は、ジャガイモとハーブを使った夕飯を作ってくれました。
美味しかったです!
作り方を見て、聞いて、帰ってから自分でも作りましたが、同じ味にはなりませんでした。

部屋の外には、下の写真の様に、色々な種類の鳥を見ることが出来ました。
この鳥は、カワセミの一種かな。
この国の動物って、警戒心が余りないのかな、と思う事が多々ありました。

翌日、早く起きて、外に出ると、向かい側の建物から子供が3人出て来て遊び始めました。
「可愛いなあ~。」と思って見ていると、近づいてきて、話しかけられました。

自分の英語の拙さと、子供の話す事なので、会話が成り立っているのか疑問でした。
それでも、何とかコミュニケーションをとって、チビちゃん3人の安全に気配りしながら遊びました。

怪我しないか、冷や冷やものでした。

中でも、赤いキャップの次男坊君が、まーまー喋る動く。
目が充血しているので聞くと、金髪のお兄ちゃんが、「いつもこんな感じだよー。」と教えてくれました。

奥の女の子は3歳だそう。
とにかく、可愛い。

3人と暫く遊んでいると、宿舎からご両親が出てきました。
「遊んでくれてありがとう。」と言われ、ほっこりしました。
こんな、何でもないやり取りが楽しい思い出になるのでした。

砂ぼこりまみれのドライブ

次の街でも(もはや地名が出て来ない)安宿にとまり、他の宿泊客と仲良くなって楽しく過ごしていました。

日本人はおらず、皆、地元のお客さんでした。

トランプをしようとの事で、わたしがカードをシャッフルすると
「お前はカジノで働いているのか?」と真面目な顔で聞かれました。

この後、何度も別の場所で、同じことを聞かれます。
どうやら、日本人ほど手先が器用ではない様。
その後も、上手にシャッフルするオーストラリア人には、出会いませんでした。

この後、ランドクルーザーに乗って、オーストラリアの国鳥、エミューを見に行きました。
このエミュー、飛ぶことは出来ませんが、50㎞/hで走れます。

車で追いかけてくれるのですが、凸凹の地面に揺られ、カメラに収めることが出来ず。😢
しかも、髪の毛が砂ぼこりだらけに。

宿に帰って、ブラッシングをしたら、ブラシが砂だらけになりました。

このエミューは、わたしが撮った写真ではありません。念のため。
物凄いスピードで走っていく、あの時の後ろ姿ったら・・・。えらい迫力でした。

オーストラリアは、広大の一言につきます。

この国を全部見て回るのは、速足でも2~3年は掛かります。
とにかく、広いの一言。(こればっかり)
この大陸の隅っこを旅行するだけでも、豊かな財産になりました。

こうして、バスを乗り降りし、リフレッシュした気持ちでパースに戻りました。
後は、次の働き口を見つけないと。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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