オーストラリア1周 ブルームからダーウィンへの7日間

eyecatch わたしのAustralia

こんにちは、アラフィフ英語学習人の、むっちです。

今回は、オーストラリア1周旅行編、ブルームからダーウィンまでの道のりを紹介します。
パースからブルームまでの、キャンプツアーについてはこちら👇

キャンプツアーも残りおよそ半分。安全に楽しく旅は進むのか、お楽しみ。
では、スタート!

キャンプツアー後半のスタート

キャンプツアーも残り半分。
美しいビーチも十分に堪能

いざ、北上の旅は続きます。

キャンプツアーの1日

もうこの頃になると、すっかりみんな、打ち解けて来ています。
それぞれの性格も、ハッキリ分かる様になっていました。
オーストラリアに来て、そこそこ日本人以外の人に接していました。
が、ここまで1日中一緒に居る事は、ありませんでした。

最初は正直、近寄れない雰囲気を醸し出している面々も。
あと、やはり日本人からしたら「不思議な人」も。
どの様に不思議か、言葉にするのは難しいけれど、とにかく何か変。(ごめんなさい)

朝起きて、簡単に身支度して、ごそごそテントから出てきます。
朝食は、シリアルだったり、トーストだったり。
ギョギョッと思ったのは、トーストとシリアルの両方を食べる人が居た事。
そして、トーストにもシリアルにも砂糖をパラパラかけて食べる事。
見ただけで、わたしは胸焼けしていました。

その後歯磨きをして、身の回り品をまとめます。
テントをたたみ、車に積んで、次の目的地へ向けて出発です。
車は、前に紹介したこちら👇

暫くすると、国立公園や、キャンプ地へ着きます。
自然の中をウオーキングしたり、湖や川でスイミングしたり。

もう、慣れたもので、楽しみまくっています。👆

移動してお昼ご飯を食べて、午後のアクティビティをして、また移動。
この移動が、時に数時間に及びます。
皆、アクティビティの後は、疲れて車に揺られてゆ~らゆら。
その間、ガイドさんは独りで淡々と、黙々と運転し続けます。
ホント脱帽。


(真ん中の男性が、ガイドさん。気の良いお兄さんです。)

南半球の7月。暦上は冬ですが、緯度が赤道に近付けば、暑くなります。
もはや冬ではありません。
真夏です。
場所は忘れましたが、やたらとハエが多くて辟易しました。
顔に飛んでくるわ、白いTシャツなんて着ていたら背中が真っ黒になるわで、皆でワーワー言っていました。
地元の人は、ハエよけ帽子を被っています。

この帽子の事も、ハエのことも知ってはいましたが、このキャンプツアーで遭遇しようとは。
余りにもグロい風景で、誰も写真に収めようとはしていませんでした。
そして、暑い、とにかく暑い。
オーストラリアの自然を、なめたらいかんのだ。

水!水!
このトレッキングの時、水を持参していたのは、わたしを含めて数名でした。
「水、僕にもくれない?」と聞かれて、「うん、いいよ。」とあげました。
が、ゴクゴクと飲まれるのを見て、若干の憤りを感じた、自分の小ささに落ち込みましたわ。
己の人間的器の大きさを、試された瞬間でした。

「旅は人生、人生は旅」とは良く言ったものです。
このキャンプツアーでは、色々な事を考えました。
アクティビティ→疲れる→車に乗る→寝る→車を降りる→アクティビティ→車に乗る→寝る→
車を降りる→キャンプの準備をする
この繰り返しです。

疲れた身体を動かし、キャンプの準備をするのですが、ここで出るのは人間性。
多少の差はありながらも、良く動いてガイドのサポートをする人。
疲れてボーっとしちゃう人。
男女差や年齢を差し引いても、その人となりが出ていましたね。
もちろん、こんな時は、そこそこ動く日本人(^_^;)

この時、未婚の20代でしたが、
「結婚相手を見極めるなら、キャンプツアー参加だな。」
と思ったりもしました。
色んなアクシデントに、その人は、どう対応するのか?
なかなか深い話です。
実際、若いオーストラリア人カップルがいました。
彼らは仲良く頑張っていました。
きっと絆も深まったでしょう。

最初は、メンバーとコミュニケーションを取るのに、ただただ必死でした。
しかし、段々と、それぞれのメンバーの様子が見えて来て、面白くなりました。
日本人同士で、その話題で盛り上がっていました。
例えば、そこらかしこで放屁しちゃう人とか。
まあ、欧米ではゲップの方が失礼に当たる、とか聞きましたけど。

また、物凄くハッキリと物を言う人達もいました。
例を挙げると、ツアーのあり方とか、案内の仕方等々。
ガイドのあんちゃんが運転している時に、車の後部座席から色々意見してくる人とか。
微妙な空気に、我々日本人は冷や冷やでした。
中途半端に、意味が分かる程度なわたしらには、心臓バクバクもんです。
何にも分からなかった方が、気が楽だったでしょう。

それでも、お互いそのままツアーを続けていて、欧米人のハートの強さに感心したものです。
20人近い人間が、ずっとそのままの空気で移動し続けるなんて、無駄にこちらが消耗します。
それでも、後に話をすると、みなガイドのお兄さんには感謝していました。
たった独りで車を運転し続け、皆の安全に考慮しつつ、ガイドを続けるなんて、凄い仕事人です。



またしても、アクティビティで痛い目に遭う

さて、後半戦は、前半より写真の枚数が格段に少ないです。
その理由は、カメラを水に落としたから。
完全なる水没。

ある日、川沿いを歩いて行くアクティビティをしたのですが、この川が凄かった。
優雅に川辺を散策、ではありません。
川に沿って生息している草が、刃物の様でした。
ちょっと脚に触れると、擦れて傷になります。
そして足元が不安定。

出発する前に、歩きにくいコースだから、カメラは持たない方が良いと言われました。
しかし、調子に乗って「写真を撮るぜっ!」と持ち出したら、直ぐに川に落としました。

まさしく、後悔先に立たず。時を戻したかった~。

普通に歩くだけでも大変な道のりでした。

昭和のテレビ番組、「○口浩の探検隊」なんか全然大したことないぞ、今わたしがやっている事の方が、数倍過酷だ~、と心の中で叫んでいました。
因果応報とはこのことなり。
落ち込むわたしを、みな口々に慰めてくれました。
「日本の技術だったら直せるんじゃない?大丈夫だよ。」てな感じ。
でも、わたしは今撮りたいんだあ~。

その後は、何日振りかの売店で買った、Kodakの撮りきりカメラで撮り続ける日々。
Kodakとか言って、今の若い人は分かるのでしょうか。
防水の撮りきりカメラにしておくんだった。
あ~、人の話は聞くもんです。
時を戻したい。
もう、どこを撮っているのかも分らなくなる位、ショックでした。

この水関連のエピソードをもう一つ。
ある日、崖からの飛び込みに挑戦する事になりました。
ガイドが、最初に手本を見せます。
こんな感じで飛び込むぞ~って具合。
鼻をつまんで、身体を真っすぐにして飛び込む。
しかし、この崖、なかなかの高さ。5~6メートルはあった様な。
一般人が飛び込むには、そこそこ怖いです。

で、誰が一番先に飛び込むか、になりました。
まさに、「どーぞどーぞ。」状態。
そこで、1人の男性が、
「Youが先に行け。その次に僕。だって怖いもん。」
と言ってきました。
何だと~?こんな時にレディーファーストか?
おっさんのくせにっ!

崖の上で暫く2人でワーワー言ってましたが、破れかぶれで飛び込みました。
だがしかし、入水に失敗。
長座の状態で落ちたので、脚の裏側がアザだらけになりました。
冗談抜きで、痛かった。
何だかオーストラリアに来て、アザばかり作っている様な。
別の「アザ」ネタはこちら👇

皆からは、労わられたり、心配されたり。
あるオーストラリア人の女性からは
「悪い見本になったわね~。」と言われました。
一番ムカついたのは、「Youが先にに行け云々。」のおっさん。
わたしの脚に出来たアザを、バンダナでパチパチ、たたいて来るんですわ。
本当にムカつきましたよ。
失敗したわたしを見て、ちゃっかり綺麗にダイブしていました。
何やねん!!
まあ、イラついたまま飛び込んだ、自分が悪い。

紛らわしい写真ですが、飛び込んだのは、ここではありません。
もっと深いところですよ。
ここは、恐らく、リッチフィールド国立公園と思われます。
ダーウィンに近付いています。

話は変わり、ある日の夕方、ガイドさんの
「今日は温泉に入れるぞ~。」
に皆の期待度はMAXに上がりました。
水着を服の下に着こみ、いざ、トレッキング。

しばらく歩くと、何か所かで、確かに温泉の様な湯溜まりが。
やったあー♪と入ると、ぬ、ぬるい。ぬるすぎる。
この時、既に夕刻。
気温も下がってきています。
大陸のオーストラリア。
日中は暑くても、夕方になれば気温は下がり出します。
陽は陰り、オレンジ色の風景は綺麗ですが、肌寒い。

結果、ぬるま湯温泉から、出るに出られなくなってしまいました。
みんなで、「出たくな~い。」と言っていると、
「キャンプ地に移動するぞ~!」の声が。
観念してぬるま湯から出ました。
入るんじゃなかったと、心底思いました。
出てからが、寒い寒い。
別府温泉や、草津温泉の様にはいかなかったのでした。
本当に、水関連には要注意です。

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旅の疲れが出始めた後半

連日のアクティビティとキャンプ生活。
貴重な体験を続けていましたが、疲れが出てくる人も。
テントの中で、コンコン咳き込む人も出てきました。
このわたしも、そろそろ疲れが見え隠れしてきました。
喉が痛くて、ちょっと身体が重いかな。

あと少しでダーウィンというところで、森の探索に出掛けました。
皆と談笑しながら歩いていたのですが、そこらかしこで、良い香りがしてきました。

わたしの疲れた身体を癒してくれる様な、何とも言えない優しい香りです。
余りにも良い香りで、周りのみんなに
「ねえねえ、とってもいい香りがしない?」
と聞いて回りました。
でも、何故か他の人は感じない様子。

通りすがりの、他の観光客にも話しかけてみましたが、
「ん?何にも感じないけど?」
との返答。
おかしいな~。
凄い癒しの香りなんだけど?
きっと、これが本当の森林浴だよ。
身体が弱った動物が、茂みに隠れに来そうな感じ。
自然に対しての畏敬の念が、新たに湧いてきました。

後にも先にも、こんな体験はありませんでした。
わたしの疲れた身体を、癒してくれた、あの森に感謝です。

いよいよダーウィンに到着

到着の夜はパーティ

豊かで広大なオーストラリアの自然を満喫し尽して、ダーウィンへ。
初日とは、全く違う空気が、バスの中を満たしていました。
団結感というか、離れがたい感覚です。

ダーウィンの街に入りました。
それぞれが予約していたバックパッカーズを廻りながら、1人、2人と車を降りて行きます。
当然、このままで解散、とは成らず、みんなで夕飯を食べる事になりました。
わたしの他に、もう一人、日本人の大学生が同じバックパッカーズに下ろされました。
このバックパッカーズが、一番最後の場所でした。
急いでシャワーを浴びて、準備をしなくてはいけませんでした。

何とか集合に間に合わせ、食事会がスタート。
旅の思い出や、それぞれの身の上話をして盛り上がりました。
楽しい時間でした。

ダーウィンでも、順調に?ドジを踏む

楽しい時間は、いつもあっという間に過ぎるもの。
翌日に、街で会う約束をして、それぞれの宿まで歩きました。

わたしの宿は、一番外れの場所。
宿について、部屋のカギを出そうと、バッグに手を入れました。
が、無い。無い無い無いっ!カギが無いっ!!

泊まる部屋は、バックパッカーズあるあるの、男女混合ごっちゃ混ぜの部屋。
運良く、同じツアーに参加した日本人の男の子が、先に入っているはず。
遅い時間だったので、気持ち小さい声で、彼の名前を呼ぶも、無反応。
ヤバい。フロントのおじちゃんも、もう居ない。
どうするか?

すると、ドアが開きました。やった!
眠い目を擦りながら、ドアを開けてくれたのは、赤いブリーフだけの男性。
ぎょぎょぎょ。
平謝りに謝って、部屋に入りました。
すると、知り合いのはずの日本人男性が、
「ごめんね。何か怖くて開けられなかった。」だとさ。
わたしは、妖怪か。
いずれにせよ、みんなの睡眠を邪魔したので、お詫びしました。
久しぶりの、天井が高い場所での就寝です。
1人用テントの圧迫感が、何故か恋しい。
色々あって、疲れているのに、寝付けなかったのを覚えています。

問題はカギだ。
紛失すると、カギを受け取る時に払った、デポジットの10ドルで弁済するはず。
翌日、カギを紛失した事を、フロントのおじさんに話すと、
「え~。失くしたの?」と言って、もう一つカギをくれました。
あれっ?良いの?んー?
チェックアウトの時も、特に問われませした。
そして、デポジットの10ドルは返ってきました。
なんか、ラッキー♪
ありがとうございました。

結局、いつも一緒

翌朝、約束した場所に集まって、みんなでお喋りしたり、街を見て回ったりしました。
ダーウィンからは、またそれぞれの旅の過程に入ります。
1人、2人と、長距離バスに乗る面々を見送りました。
その間も、何だかんだで、結局このキャンプツアーの面子で行動していました。
食事に行ったり、映画を観に行ったり。

ある時、日本人3人、イギリス人2人で街中を歩いていると、道の脇から50㎝位のトカゲがのっそり出てきました。
みんなで一斉に「ギャーッ!」と断末魔の悲鳴をあげました。
さすがダーウィン。

誰かが言いました。
ダーウィンに着いたら、みんなバラバラになるんだと思っていたけど、結局ずっと一緒。
こんな風になるなんて、全く思っていなかった。

本当にそうです。
やはり、15日間一緒にいると、情が湧くんでしょうね。
朝に集まって話す、昼ご飯を食べる。
で、夜にまた集まってご飯を食べる。
何やってんだか。

涙、涙の別れ

そうこうしているうちに、わたしもダーウィンを離れる日がやって来ました。
とにかく1周旅行を遂げたくて、物凄くタイトな予定を立てていました。
もう少し、余裕を持った計画にすれば良かったかも。
少し、いや、かなり後悔しました。
しかし、長距離バスの周遊チケットを購入していたので、観念しました。

このキャンプツアーには、オーストラリア人のご夫婦も参加していました。
このご夫婦は、シドニー在住でした。
皆に、シドニーに来たら連絡する様、話していました。
わたしも、必ず連絡する約束をしました。

皆で集まってはワイワイ話していた、街の広場。
そこからバスに乗り、ダーウィンを後にしました。
バスに乗って、暫くは心が空っぽになる位、寂しかったです。
寂しくて、独り泣きました。

2度の復興を遂げたダーウィン

ダーウィンは、1974年の台風(サイクロン・トレイシー)で、壊滅的な被害を受けました。
そこから再建した街です。
その為、オーストラリアの他の都市と違い、比較的新しい街並みです。

そして、街の観光局のお姉ちゃんは、笑っちゃうくらい不愛想でしたね。
何度か、この手の店員には遭遇しましたが、この人は凄かった。
多分、日本人は嫌いなんでしょうね。
とにかく、こちらが何か言う度に、ため息をつく繰り返しでした。
お主、酸欠か?とツッコみたくなりました。

第二次大戦では、日本軍に何回も空襲を受けたので、地元の人には印象が悪いのかも。
経済的には、貢献してそうだけどなあ。

この日本軍による空襲と、後の台風からの、2度の復興を遂げたダーウイン。
また一つ、忘れられない街が、わたしの中に加わりました。

これで、パースからダーウインへの、15日間のキャンプツアーは終わりです。
この後は、「グレイハウンド」と言う、超大型バスに乗っての旅が始まります。
これからの旅も、色々な出会いがありました。
続きはまた後日に。
楽しみにしていただけたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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