はじめまして。

eyecach はじめまして

はじめのごあいさつ

はじめまして。むっちです。
数あるブログの海の中に見つけていただき、ありがとうございます。

自己紹介をさせていただきます。わたしは、東北生まれの女性、アラフィフです。

地元の高校を卒業後就職し、一般事務職として働いていました。

働いてはいましたが、学生時代から英語という科目は好きでしたので、いつか勉強を再開して話せるようになりたいな、と漠然と思っていました。

日々の仕事に追われていた時、ふと立ち寄った書店に、「ワーキングホリデー」に関しての本を見つけます。

パラパラとめくりながら、「これだっ!これで海外に行ってみよう!」と思い立ちました。

直ぐにその本を買い求め、1時間かそこらで読み終わり、計画を練り始めました。

わたしは2人姉妹の長女で、この時代ではよくあるタイプの長女、だったのでしょう。

母親の考えに逆らえませんでした。
高校は進学校でしたが、卒業したら、就職するように言われてその道を歩くこととなりました。

このようなバックグラウンドがあったため、
「自分の働いたお金で、長い人生のわずか1年を海外で暮らしても良いよね。」
と思ったのでした。

あとは1年間を様々な準備に費やしました。
先ずは、ビザを得るべく貯金残高増額活動。

簡単に言えば、余計な買い物はせずに質素倹約ですね。

元々、それほど裕福な家庭ではなく、無駄使い厳禁の考えで育てられました。
よって、残高問題は早々にクリアしました。

英語はとにかく基礎からだろうと考え、適当に中学生英語の薄い問題集を手にしました。

あとは当時良く広告を目にした 小林克也のアメリ缶 という英語教材を奮発!
確か、聞こえきた英文をひたすらカタカナに書き起こしていく学習方法だったと記憶しています。

ご存じの方、いらっしゃいますかね?
留学なしに流暢に英語を操る小林さんは憧れの人でした。
ベストヒットUSA世代の方にはお分かりいただけるかと存じます!

そして、最大の難関、母の説得。
初めて話した時は、鳩さんが豆鉄砲~の表情でしたよ。

しかしながら、当時のわたしとしては、ずっと母の言うことを聞いてきたのだから1年位は自由にさせて!って感じでしたね。

しばらくは、色々言われた様な記憶がありますが、最後には許してもらいました。

いざ、AustraliaはPerthへ!

 

オーストラリアでの拠点は、パースに決めました。

理由は、東側のシドニーや、ブリスベン、メルボルン等より、日本人が少なそうだったから。
実際は、パースにも、多くの日本人はいました。
パースはその昔、兼高かおるさんという、有名なジャーナリストの方が、
「パースは世界一美しい街だ。」とおっしゃっていたそうです。

その言葉の通り、美しい街並みがわたしを迎えてくれました。

当時のわたしの英語力は何とかコミュニケーションをとれる程度。

それでもホームステイ先のお宅に着いた時に、飛行機が揺れた事等を伝えて、理解してもらえた時は嬉しかったものです。

この街を基点に1年間、人生でたったの1年間の海外滞在でしたが、かけがえの無い出会いと経験がありました。

喜んだり、失敗したり、不安になったりとの、海外生活あるあるが満載でした。

オーストラリア1周 ブルームからダーウィンへの7日間

オーストラリア1周 ダーウインから内陸の旅へ



帰国後

離れがたい思いを胸に、日本に帰国します。これから暫くの間、試練の日々が続きました。

実はわたしがオーストラリアに滞在中、母が大病を患い、手術・入院・退院・療養の道をたどっていました。

事実を知ったのは手術後でした。夢を今まさに叶えている、わたしを煩わせたくない家族の深い思いやりからでした。

そんな事から、帰国後はしっかり親孝行をしようと、覚悟を持って帰国しました。

その後、母の療養に寄り添いましたが、残念ながら1年後に再発。
そのまた1年後に母は人生を終えました。

オーストラリアに渡った1年と、母の看病、その間の家族(父と妹)との2年は、わたしの人生において光と影の様な時間でした。

そして今へ

かなりヘビーなお話になりましたこと、お詫び申し上げます。
これからは明るめに行きますね。

その後、紆余曲折があり、様々な出会いがあり、結婚して2人の娘を授かりました。

子育てを通して、親として成長させてもらえたなあ~、と思う事がたくさんありました。

そして、娘たちが成長していく中で、やはり、もう一度英語の勉強を始めたいと思いました。

家事や、育児、仕事をしながら、そして何より若い時とは違うキャパシティーの小さくなった頭での、のろのろ英語学習が始まりました。

このブログでは、40歳過ぎてからの、わたしの英語学習の軌跡書と、楽しみ方を書いていきます。

最近は、音読、オーバーラッピングを中心に英語学習を続けています。

50歳をこえてからの、再びの英語音読の過程をお見せします

効率が悪かったり、歩みが遅かったりです。
同じ様な環境で頑張っている方々や、これから語学学習を始めたい方々への、ヒントや後押しになれば、と思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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