こんにちは、アラフィフ英語学習人の、むっちです。
今まで、オーストラリアでのワーキングホリデー生活について、何回か紹介してきました。
今回からは、最後に残しておいた、オーストラリア1周旅行について書いて行きます。
かなり昔の体験となりましたが、英語学習を続ける礎となった1年です。
わたしの人生において、大きな影響を与え続けている、1年です。
何も分からずに飛び込んだわたしを、1年間受け入れてくれたオーストラリア。
今でも感謝で、一杯です。
オーストラリアの街並みは、多少は変わってしまっているかもしれません。
しかし、あの雄大な大自然は、変わらず存在してることでしょう。
少しでも多くの皆さんに、オーストラリアの魅力を伝える事が出来たらと思います。
オーストラリアは、日本の国土の20倍以上もある大陸です。
1周する、と言っても、大変な距離の移動です。
2か月やそこらでは、周りきれる距離ではありません。
当然、訪れる場所の取捨選択が必要となります。
少しパースに長く居過ぎたかも、と正直思いました。
しかし、事故にも遭ったので、身体の事を考えたら無理も出来ませんでした。
先ず、このパースから、どちらに向かって旅行をスタートさせるか?の選択です。
色々考える中で、街の旅行センターで見つけた、キャンプツアーに参加することを決めました。
このキャンプツアーは、パースからダーウィンへ向かうもので、15日間の行程です。
15日間、毎日キャンプをしながら、移動していくのです。
人生初、キャンプ生活。しかも15日間。
こんな経験は、そうそうできる物では無いです。
思い切って、飛び込むことにしました。
結果、参加して、本当に良かったです。
この時にしか出来ない、貴重な体験が満載でした。
しかも、15日間のキャンプ生活の武勇伝?付き。
それでは、パースから始まった、オーストラリア1周旅行のスタート。
今回は、ブルームまでの様子を綴ります。
パースからダーウィンへのキャンプツアーへ参加
わたしが参加したキャンプツアーのパンフが、アルバムに挟めてありました。
この行程を当時、日本円にして10万円ちょっとで体験できたのだから、ラッキーでした。
さすがに、今現在は同じツアーは無いと思われます。
ちなみに、ググってみたところ、いくつかのキャンプツアーがありました。
行程を22日間としているエージェントが多いみたい。
確かに、15日間であの距離はハードだったかも。
オーストラリアは、こんな感じで、ツアーが実に豊富で選ぶのが困るくらいです。
パースからダーウインへの移動は、単独では大変だと思ったので、このツアーを見つけられて良かったです。
ツアーメンバーとの出会い
1994年7月9日、雨が降る朝、アンドレアに送ってもらい、集合場所に着きました。
確か、7時に何処かの駅前集合でした。
「楽しんできてね。パースに帰ったら、連絡してね。」
と言われた時は、少しだけ寂しくなりました。
雨の降る中、名前の確認をされて、車に乗り込みました。
参加者の国籍は様々でしたが、日本人の参加者がわたしの他に3人居ました(心強い)。
他にオーストラリア人、イギリス人、オランダ人。
ツアーの途中からカナダ人やスイス人も加わりました。
始めは貧弱な英語力もあって、大人しくしていました。
その後、徐々にコミュニケーションを取れるようになり、楽しく過ごしていきました。
そして、最終的にここでの出会いも、大きな宝物となりました。
パースから北上の旅の始まり
謎の惑星?ピナクルズ
出発時は雨でしたが、途中で晴れ、最初に車から降りた時には良い写真が撮れました。
ここは、パースから北へ270㎞の、ナンバン国立公園のなかにある、ピナクルズです。
6000年前に出現したと言われています。
海からの貝殻が石灰化し、陸となった後に砂が覆います。
その砂に樹木が生え、雨水と根っこが石灰岩を侵食。
樹木が姿を消し、石灰岩が再び姿を見せたのがこの状態。
だいぶ端折りますが、こんな感じで形成されたそうです。
CMや、ドラマの撮影場所でも有名なそうな。
SFチックですね。
夜は、キャンプですから、テントで寝ます。こんな感じの1人用テントです。
始めのうちは、上手く出来ず、早く建てられた人が他の人を手伝う感じでした。
これ、慣れると中は快適でした。プライバシーが保てますしね。
このガイドのお兄さんが、全行程を独りで運転してくれました。
本当に、タフです。その車がこちら。
その途中でアクティビティもあるので、相当の体力を使います。
それでも独りで運転し続けるのですから、本当に頭が下がります。
年齢は、当時のわたしと近く、そしてとても綺麗な人でした。
我々日本人は、取っ付き難そうだけど、良い人だよね、と言う見解で一致。
キャンプ生活に徐々に適応
かなりのフィルム(時代を感じる)を持っていましたが、最後まで持つか不安になりました。
食事は良いとして、歯磨きやおトイレ事情は気になります。
歯磨きは、タンクに大量の水が用意されていたので、大切に使うとして・・・。
ガイドの男性が、ミニショベル(子供の頃使った小さいの)とトイレットペーパーを手にして、
「ちょっと離れた所に行って、すまして来てね。」
と言うと、何とも言えない空気になりましたよ。
己の順応性に驚くのみ。
だって、しょうがないもんね。
途中、何度か湖や海で泳ぐのですが、その時にさっぱりする感じ。
数日に1度、完全なる野営では無く、キャンプ場で宿泊するので、その時にシャワーを浴びる事が出来ました。
洗濯もね。
ワイルドだろ(古い!)
↓何処かのシェルビーチ。記録がいい加減です。ごめんなさい。
イルカは本当に人懐っこいですね。
しかし、季節が合わなかったのと、わたしはダイビングをしないのとで、グラスボートのみ。
グラスボートからの景観が美しく、夢中で写真を撮りました。
キャンプの夜はこんな感じ。
この場の会話が上手くできん!
日本人同士で話していると、「Don’t talk in Japanese!」とか言ってくる人も居ました。
許してくれ~って感じです。
その中で、6か国語を操るオランダ人男性からのアドバイスがありました。
(オランダ語・英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ギリシャ語/頭の中を覗きたい)
「とにかく、易しい簡単な英語を、たくさん話んすのが良いよ。」
でも、なかなか出来ない。出来ていたら今頃は・・・。
いや、今から頑張ろう。
ハマースレイレンジ国立公園で痛い目に遭う
そして、適度にリラックスしてアクティビティも楽しめる様になってきました。
派手に転び、右足の爪を半分近く剥いでしまう惨事に。
足指は痛い、足元は宙ぶらりん。
「切る?」と聞かれて「いや~、わたしはいいよ(切りません)。」と返していたのです。
爪は、短すぎても、長すぎても駄目ですね。
その後は暫く痛みがあり、黴菌でも入ったらどうしよう?とビビりまっくっていました。
しかし、泥にハマったりしながらも、順調に爪は伸びて行きました。
生命力の勝利!
キャンプツアーの半分、ブルームへ
真珠の街ブルーム
この街は、真珠養殖が基幹産業の一つです。
「南洋真珠」と言う言葉を聞いたことが、一度はあるかと思います。
過酷な労働環境の下、命を落とすダイバーも多かったそう。
その数、1000人近く、いや、もっと多いかも。
その為、街には日本人墓地があります。
物凄いボリュームで、ゴージャスでした!
わたし達が、百貨店や宝石店でみるパールネックレスとは違い、粗削りながらも力強い美しさがありました。
ブルームも美しい風景がいっぱい
ここブルームでは、キャンプ場での宿泊でした。
つまり、久しぶりのシャワーと洗濯が出来る訳です。
同じく久々の街ですので、マーケットを覗いてみたり、外食してみたりと文明?にも触れました。
しかし、やはり圧巻はビーチの美しさです。
ケーブルビーチでは、皆で海水浴やら日光浴やら(必要か?)を満喫しました。
夜は、繁華街の方で何やら喧嘩のような声が。
「新聞に載るような事には、巻き込まれたらいかん!」
と日本人同士確認しあい?大人しくテントに。
このブルーム、季節が合えば、「月の階段」なるものを見る事ができます。
【速報】今まさに、この神秘的現象が🌕❗
こちらは西オーストラリア州のブルームで起きる「月への階段」と呼ばれる現象✨水平線から、まるで月へとつながる階段のような輝きが出現するためつけられた名前です☝年間で数日しか見られないレアな現象です。ロマンチックですね~😍@nonbiriperth pic.twitter.com/fDXKXQte1V
— オーストラリア政府観光局 (@Go_Australia) June 16, 2022
残念ながら、わたしが訪れた時は、タイミングが合いませんでした。
(こんな事ばっかり😢)
直に見られたら、どんなに美しく、感動した事か。
誰かが、「明日は早く起きて、ビーチで泳ごう!」と言い出しました。
翌朝、5時位にゴソゴソとテントの中で起きだし、有志数人でビーチに繰り出しました。
後で聞いたのですが、朝は時々、海水ワニが出るとかで、危なかったらしいです。
本当かな?危ないところでした。
オーストラリアの自然は、舐めたらいかんのだ。
こうして、久々の街の雰囲気を楽しみ、次の目的地へ出発しました。
キャンプツアーは、後半へと向かいます。
この続きはまた後日紹介します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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