こんにちは、アラフィフ英語学習人の、むっちです。
今回からはキャンプツアーの後についてです。
オーストラリア1周旅行の序盤、キャンプツアーが終わりました。
😢涙の一人旅開始です。
いつも大勢でいたので、急に孤独になった気分。
ダーウインからバスに乗り、次の宿泊先に着きました。
着いたのは良いが、無性に寂しくなり、パースに居る友人に電話を掛けて思いっきり泣きました。
かなりの精神的ダメージ。
これからは、しばらく一人旅が続きます。
その中で新たな出会い・経験がありました。
それでは、バックパッカー一人旅の始まりです。
キャサリン渓谷をクルージング
キャサリン渓谷は、ダーウインから南下したところにある、これまた広大な国立公園です。
望遠付きのカメラを、キャンプツアー中で水没させてしまっていました。
それで、撮りきりカメラ(使い捨てカメラ)で黙々と写真を撮り続けていました。
所詮は撮りきりカメラ。
オーストラリアの自然の美しさが、半減だあ~。
パチパチと、チープなシャッター音を鳴らしていました。
わたしは、英語力が決して高くはありませんが、そこそこ初対面の人とも話します。
しかし、この時は、黙々と機械的に写真を撮っていた記憶があります。
水没したカメラを思いつつ。
あ~、あのカメラがあったなら、もっと良い写真が撮れたのに。
写真を撮りながら、癒されてきました。
川や、湖、海には、やはり癒されますね~。
このキャサリン渓谷も、美しい景色で溢れていました。
アリススプリングス・エアーズロックへ
キャサリン渓谷から、さらに南下してアリススプリングスへ入りました。
アリススプリングスは、内陸の街です。
オーストラリアのアイコンの一つ、エアーズロック。
そこに向かう前に、多くの人が立ち寄る場所です。
バスが夜遅くに着いたのですが、さすがゲートシティだけの事はあります。
珍しくスーパーマーケットは24時間営業でした。
ここを起点に、旅行者がひっきりなしに出入りする街です。
当然と言えば当然。
バスから降りて、直ぐに買い物をした記憶があります。
その後、宿へ入り、就寝です。
宿で、何人かの日本人と出会いました。
お久しぶりの日本人です。
それぞれの、今までの旅の話で、盛り上がりました。
午後にはエアーズロックへ向けて出発です。
これも、なかなかの距離です。
エアーズロックが近くに見え始めた時は、夕方でした。
夕陽が反射して、それはそれは美しかったです。
エアーズロックには、次の日に登る予定でした。
しかし、この美しい姿を見て、
「登るような場所じゃないでしょう。」
と思いました。
エアーズロックは、アボリジニの言葉では「ウルル」と言います。
アボリジニとは、オーストラリアの先住民族です。
入植してきた白人達から、虐げられた歴史を持ちます。
アボリジニにとっては聖地です。
その聖地に登るのか~。
余りの美しさに、バスに乗っていたバックパッカー達が、写真を撮り始めました。
夕陽が落ちても、幻想的な姿で魅了し続けていました。
みんな、フラッシュを、焚きまくりでした。
途中で知り合った日本人男性が、
「こんな所からフラッシュなんか届かないよ~。」
と呆れていました。
まあ、みんな、現像したら真っ黒でしたでしょうね。
翌日、エアーズロックへ。
いよいよ、登りますぞ。
天気は、ほぼ快晴。
バスから降りて、ガイドさんの説明を聞いて、登り始めます。
すぐそこに、このエアーズロックに登っていて、命を落とした方々の名前が刻まれたプレートが。
ゾゾッ。結構いるぞよ。
このプレートを横目に、知り合った日本人数名と登り始めました。
因みに、高さは335メートルあります。
登った事のある方なら、分かるはず。
そして、上のエアーズロックの写真(遠くからですが)を見ていただければ、分かりますよね。
エアーズロックは、巨大な台状の岩です。
山ではありません。
斜面は、果てしなく垂直に近いです。
杭が等間隔に打ち込まれ、ロープが添えられています。
そのロープを握りしめながら、登って行きます。
も~、大変でした。
岩肌には、登った人たちの足で、踏みしめられ削られた跡が残っていました。
なんだか、申し訳ない気持ちになりましたよ。
ここは、アボリジニの人達の聖地ですから
ああ、エアーズロックが泣いている。
ヒーヒー言いながら、何とか登り切りました。
👆かなり疲れています。
山頂とは言わないですよね。岩上かな。
足元が安定しない。
平地ではなくて、あくまで岩ですからね。
そして風が、かなり強かったです。
そのため、立っているのが結構辛かった~。
地球のへそは、大きかった。
さて、登ったら下りなきゃいけません。
先程登った急斜面を、下りるのだ。
これ、想像していただけます?
何かの冗談か。
登った時に使った筋肉が、悲鳴を上げています。
その状態で下りるので、カクカクして怖い怖い。
隣で下りてる、日本人の小学生が
「膝が笑っているよ~。」
と叫んでいました。
登らせてもらって、何ですが、登るもんじゃありません。
実際、2019年10月26日から、観光客向けの登山が禁止になりました。
アボリジニの聖地ですからね。
アボリジニの人達、それまで良く我慢していましたよ。
本当は、何度も登山禁止を、呼び掛けていたそうです。
登っちゃって、ごめんなさい。
一路キングスキャニオンへ
さて、エアーズロックを後にして、キングスキャニオンへ。
アメリカのグランドキャニオンと混同しそうですが、こちらはキングスキャニオン。
ここまで運転してくれた、大型バスの運転手さん、とても親切な方でした。
ガイドさん並みに、色々教えてくれました。
「グレイハウンド」と言う、超大型観光バスです。
オーストラリアの、主に西側と内陸を走っています。
後々、色々な運転手に出会いました。
その中で、この運転手さんが一番、親切丁寧なお仕事をされていました。
このキングスキャニオンも、雄大で素晴らしい景色でした。
いつもどこかで、崖の写真。
運転手さんが、観光ガイドをしてくれたのもあり、一行の雰囲気は良かったです。
キャンプツアーでは、毎日の様に、海や川・湖に触れていました。
内陸に入っても、キャサリン渓谷では、素晴らしい川の景観がありました。
ここは今までとは全く違う、何かしら乾いた感覚でした。
圧倒的な景色の連続でしたが、そろそろ海側に出たい、と思い始めていました。
オーストラリアの光と影
素晴らしい景観の数々。
日本とは違う、ダイナミックな自然。
これぞ、オーストラリア、の連続です。
この土地の雄大さは、圧倒的な光を放っています。
さて、キャンプツアーで訪れたブルームは、ビーチをラクダに乗って歩く
「キャメルライディング」がありました。
他の地域でも、時折ラクダに乗ってのアクティビティがあります。
しかし、ラクダは本来、オーストラリアには生息していなかったはず。
では何故、ラクダがいるのか。
アクティビティーの為に、連れて来た訳では無いはず。
語学学校に通っている時、授業で聞いた話です。
ラクダが輸入された後、野生化したそうです。
1870年~1920年の間に、アラビア半島やインド、アフガニスタン等から、2万頭ものラクダが輸入されました。
そして、2000人以上のラクダ乗りも移住してきました。
目的は、乾いた土地の気候に、耐えうる輸送の為。
または、罪人に課せられた 内陸探査にも。
しかし、自動車や鉄道網が発達すると、ラクダの役目は終わり、多くが野に放たれました。
(この写真はオーストラリアのラクダではありません)
オーストラリアの、広大な内陸に広がる砂漠を、「アウトバック」と呼びます。
気候は厳しい。
しかしながら、このアウトバックに適応する生命力が、ラクダにはありました。
あっという間に野生化し、繁殖しました。
この繁殖したラクダが、時に人間の生活に害を及ぼしているとの事。
水を求めて水道管を壊したり、牧草地の草を根こそぎ食べてしまう等。
アウトバックに、数十万頭は生息しているそうです。
余りにも広大なアウトバック。
そのため、野生化したラクダを、観光客が見る事は無いかもしれません。
現在は、政府が野生のラクダの駆除に乗り出しているそう。
いつだって、勝手な考えで自然を乱すのは、人間です。
先のエアーズロックの登山、このラクダの繁殖と駆除。
オーストラリアの影を見た思いでした。
次回は、久々に海岸線に出る旅です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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