こんにちは、アラフィフ英語学習人の、むっちです。
せっかく日本で頑張って仕事をして、貯金をして、自分の力で(数々のお陰様もあり)やって来たPerth Australia。
生活と授業に慣れるのは良いが、長年日本で培ってきた(?)完全受け身の授業姿勢。
先生の話す内容に追いついていくのが、精一杯の日々で、正しく”silent student”なる道を堂々?歩いているわたしでした。
今回は、その授業について書いて行きます。
学生時代、受け身授業をしてきた、成れの果てが見えてきます。
授業は積極的に受けよう
その授業の中で、今も覚えている事が、1つ2つあります。
どれだけ出来なかったんだ、と言うお話です。
出来なかったのは1つ2つでは、ありませんが。
1つは、英語の発音のトレーニングの時間にあった、「Tongue twister」なるもの。
早口言葉なのですが、「Willam wears warm vest.」
Wの音は、唇を思いっきりとんがらせて、う~って言わないといけないんですよね。
そして「V」は軽く唇に歯を置く。
何回も先生に繰り返しさせられましたが、その時は上手くできませんでした。
「She sells seashells on(またはby) the seashore.」
これも、みなさん何処かで聞いたことがあるかと思います。
シーシー言ってましたが、全然ダメ。
今でこそ、言えるようにはなりましたが、発音練習なんて、小一時間も真剣にやっていたら、口の周りが麻痺寸前です。
日本語と英語では、使う筋肉、筋肉の使い方がまるで違いますから。
2つ目の強烈な記憶は、歌を聴いて歌詞を書いて行く、dictation(ディクテーション)です。
洋楽好きのわたくし、でございましたが、ただただ聴くのみの生活、でした。
出来るわけないしっ!とビビりながらも、やるしかない。
先生が流した曲は、当時のヒットメーカー、Roxette(ロクセット)のIt must have been love.邦題は 涙のクリスマス でした
わたしにとっては、涙のディクテーション でしたよ。
スローなテンポで、マリーの伸びやかな歌声が素敵な曲です。
この曲の歌詞をこうやって聴くことで、It must have been ~ と言う構文が、初めて参考書や構文集の中だけに存在していたものから、体に入って来た様な感覚がありました。
歌を聴いてディクテーションしていくのは(始めはバラード辺りで)リスニング向上に良いです。
ずっと聴いて書くのは、かなり疲れますので、最初はほんの数十秒からで。
懐かしく思いながら、書いていますが、このボーカルのマリー・フレデリクソンさん、2019年の12月にお亡くなりになってしまったんですね。
来日した時、「日本食が楽しみ。」とインタビューに答えていらした記憶があります。
わたしの青春が、また一つ。いや、失礼しました。
話はズレますが、このロクセットはスウェーデンの出身です。
ヨーロッパの、特に北欧のバンドって、アメリカや、イギリスのバンドとまた違った魅力がありました。
何を隠そう、最初に好きになった洋楽はAbbaでした。
当時小学生でしたが、聞いた時の衝撃ったら。カッコよかったんです。
特に、女性ボーカルの2人が日本人の芸能人とはぜーんぜん違って(当たり前ですが)見えて。
その後は、Arabesque(渋いっ!)a~ha や Ace of Base なんかがお気に入りでした。
ホストファミリーの優しさ
いくら、日本でいる時とは違って完全英語の授業を受けているとは言え、受け身のままではダメなんだー。と、思っているうちに確実に時は流れ、8週間が過ぎました。
修了証書がいただけるのですが、それに一緒についていた先生のコメントに
「あまり話せていない。」みたいな文があって、軽く落ち込みました。これが現実。
しかしながら、学校は終わり、ホームステイも終わる、となると状況は変わります。
受け身のままでは居られないし、出来ることを見つけて行動しなくてはいけません。
安全、健康に配慮しつつ、1歩踏み出していく日がやって来ました。
お世話になったステイ先のご家族に、ご挨拶をして、この家を離れることとなりました。
毎日テレビを観ながら、おしゃべりをしてくれたガニアは、何度も「I miss you.」と言ってくれました。今思うと、よくまあ会話を続けられたものだと思います。
本当にガニア始め、ホストファミリーにはお世話になりました。
本来は、朝夕の食事だけ用意していただいたら良い契約なのですが、毎日、昼用にサンドイッチを作って持たせてくださいました。忙しい朝の出勤前の時間にです。
他の日本人の友達には、羨ましがられました。
本当は、きっと家族の皆さんは、色々心配してくださっていた事でしょう。
しかしながら、当時のわたしには、その思いをキャッチする力も余裕もありませんでした。
もっと、日本で勉強していたらな、と思います。
語学を習得するには、現地で生活するのが一つの大きな手段です。
しかし、その前に、日本で出来るだけレベルを上げておくことが望ましい、とこの経験を通して思いました。
そうすることで、同じ時間でも、もっと積極的に交流できたり、多くを吸収できるのですから。
でもまあ、わたしは、わたしのやり方で進むしかないのでした。
名残惜しくホームステイ宅を出て、以前から目を付けていた、YWCAというキリスト教系の宿泊施設に移りました。(ちなみに、わたしはクリスチャンではありません)
同じ語学学校で知り合った女性と、数日過ごす予定でした。
彼女は数日遅れでこちらに移ってきたのですが、それまでの間、初めて全く面識の無いヨーロッパ系の女性と同じ部屋を使いました。
と言うのも、2つのベッドがある部屋で、時にはこの様に全く赤の他人と、部屋をシャアするのがごくごく普通なのでした。
これは、この後、独りで旅行する時にも、バックパッカーの宿や、ユースホステルを利用する際にある、当たり前の事となります。
始めは少々緊張しましたが、その女性は旅慣れた感じで、軽く挨拶したり話したりで、快適に過ごせました。
数日後やって来た友人は、この状況を聞いて、驚いていました。
「頑張ってコミュニケーション取れたんだね~。」てな感じで褒めてくれました。ほほほ。
この後、この友人は、パース市内の軽食屋さんでのキッチンハンドの職を得ました。
わたしは、どうしたものかと、考えあぐねていました。少々の焦りも感じつつ。
そんな中、先のホームステイでお世話になったお宅のおばあちゃんが、お孫さんの運転する車に乗って訪ねて来てくださいました。
心配していた様子で、「何かあったら連絡してね。身体に気を付けて。」と言葉をかけてくださいました。
このおばあちゃん、脚が悪くて歩くのは大変なのに(車に乗っての移動だったとはいえ)わざわざ部屋を訪ねてくださって、本当に驚きました。
わたしの事は、数多く接してきた、学生の内の1人なんだろう、と勝手に思っていました。
また、人の温かさに触れることができました。
カラフルなワイルドフラワーが彩る季節から、Australiaは本格的に夏を迎えていました。
そんな中で、ある人が心に浮かび、連絡を入れてみることにしました。
この続きは、また後日に。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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